2008年 10月 29日
大阪歴史探訪・・・
この神社には・・・・「真田幸村の抜け穴」があります・・・・・
大阪冬の陣の際に、豊臣方の智将・真田幸村が築いた出城「真田丸」の跡地と伝えられています。境内には幸村が掘ったという「真田の抜け穴」があり、幸村の銅像も立っています。
神主さんの話では、この抜け穴は「三光神社~空堀町」までつながっていた。そして、大阪城へと続くとの話です。まさに、秘密の出入り口ですね。(場所はJR環状線・玉造駅5分)
真田の抜け穴・・・↑・・・・↓
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越中井・・・・・・・・細川越中守忠興の屋敷があった場所・・・・・
今は井戸だけが残っています。関が原の戦いに際し、人質に取られることを拒んだ忠興の妻(明智光秀の三女で細川玉・・・キリスト教洗礼名・ガラシャ)は家臣に喉を突かせて果てた。
この地はガラシャの最後の場所です。(JR環状線・森之宮駅15分)
ガラシャの辞世の句・・・・・「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」ガラシャ・・享年38才の時でした。
by 117k
| 2008-10-29 10:31
| 街角散策